本の在り処、本の作者、見え始める絆のルーツ・・・そして今ある絆は・・・・・・
「・・・・・・見たことも聞いたことも無いな。」
読書好きで、文武両道の1番の親友も知らない。
「だいたい、内容はどんな感じなのよ?」
その親友の妻になる探究心旺盛な女も知らない。
「大学の方に問い合わせてみましょう。」
タマムシシティの知的なジムリーダーも知らない。
「昔のこと、覚えてないから・・・」
一応同棲相手の三白眼の元敵の女は、そう、悲しそうに答えた。
流石に、この雰囲気はまずいと思ってフォローをすぐにいれておいた。
・・・やはり、彼女も知らないようだ。
誰も知らない、無論それを追う青年も知らない一冊の本。
そして本に迫る青年の運命はまるで減速を知らない。
それは、今を生きる青年の秘める決意のように・・・
PAS Chapter3 第29話 加速する運命
12月17日・・・また、休日。日曜日。
まず、今回はこの時間経過について、ブラックの現状を含めて少しだけ説明しよう。
今回もこうして日曜日に話が進むのは、ブラックが一週間の内、この日しかまともに
プライベートな行動を取れないからである。
普段のブラックは眠れない夜を睡眠導入剤で無理矢理眠りにつき、6時前という朝
早くに起床してポケモンたちと軽いトレーニング。そして7時過ぎにトレーニングを終え
ると、ピンクと一緒に自分の分の朝食を作りそれを食べ、ポケモンたちもその間に食事を
取らせ、午前8時前にはセキエイこうげんを目指す・・・。
ブラックの仕事はいわゆる現場監督で、出勤後、職場で今日はどこに出向くのかを命じられる。
命を受けたらその現場へと向かい、付近のポケモン協会関連施設の人や、ポケモン協会員。
及び協会関連企業の作業員と共に依頼された仕事をこなしていく。
(ちなみに依頼されている仕事というのは、1章でも少しだけ紹介したが
“ポケモンと人間の共存促進の為の環境開発及び保持”を目的とした、簡単に言えば人と
ポケモンのトラブル解決屋である。例を挙げるなら大規模なポケモンの移住、暴れポケモン退治
ポケモンの為の環境整備、大学や研究所から依頼があった場合は生態系調査、個体数調査などの補佐を勤める。)
しかし現場監督といっても、ただ上から命令しているだけでなく、実際に手持ちのポケモンたちを
呼び出して動いてもらったり、自分自身が泥にまみれることもある。
要は、現場“監督”という肩書きにはなっているが、実質作業員にほかならない。
(この辺り、突き詰めていけば労働者の権利〜やら、法律〜やらでどうにかなりそうな気がするが、
この世界においてポケモン協会の職員というのが、我々の住む時代における公務員のような存在の為
労働に関する基本的な法律は存在するが、労働者の権利云々は主張できないようになっている。)
さて、そんなブラックがあの本を探すにあたって自分の友人知人、はたまた一応の同棲相手にも
話を聞いてみたのだが、その回答は冒頭の通りだ。まぁ、どういったことを記した本なのかもわからないし
夢の中や意識の果て、即ち封じられている記憶の中でみた本の外観の印象は、本は古びていて、
最近出版された本ではないことを直感的に感じ取らせた。
即ち“いつ”あの本が出版されたのかも、いつごろまで本屋で取り扱われていたのかもわからないのだ。
ある程度有名な書物であれば、その書名を元に簡単な調査で調べることができただろうが、
冒頭の通り、よく本を読む人たち、または読んでいそうな人たちですら知らない本なのである。
しかし、冒頭の人たちが読んでいなかったからといって本当に知名度が無い本なのかどうか分からない
・・・・・・そこでだ。
「で、わいの所に来たって事かいな。」
ジョウトの方の訛りで独特なイントネーションと、ジョウトより東側に住む人間にとって不思議に
感じる言葉のアクセント。そんな言葉を話す“彼”の目は、ブラックからある程度の経緯の説明を
受けた時点で自信たっぷりだ。貴重な休日にブラックが尋ねたのは旧来の親友であり、所属は
違えど自分と同じポケモン協会員でもある人物の自宅だ。
この人物の自宅が立っている場所はハナダシティの岬の奥地で、とてもひっそりとしていて静か。
落ち着いて自然と戯れることができるので、そういうことが好きな人にはたまらない環境なのだが、
その環境の醸し出す雰囲気に誘われてか、有名デートスポットでもあるハナダの岬から
恋人達がよく近所でいちゃつきはじめることがある・・・。
(余談だが、昔ブラックもレッドとして、この辺りに“当時の彼女”と訪れた事がある。)
そんな環境下で仕事に励むのが“彼”だ。いわゆる天才で、若くして現在も全国、いや全世界で
使用されているポケモン転送システムを完成させた人物である。
(無論、単身ではないが。)
そして“彼”は、自分のもう1人親友と呼べる男にやたら嫌われている。その理由は・・・
「あら、レッド君、いらっしゃい。」
「どうも、お久しぶりです、ナナミさん。」
一番の親友の姉 ナナミは“彼”の妻だ。もう結婚して随分と経つ。姉が半ば母親代わりの
ような存在であった一番の親友にとってみれば、“彼”は母親を奪っていった男なわけで、
生理的に許せる存在ではない。しかしそれでも結構長い年月が経っているので“彼”ことを許して
あげているのかもしれない・・・・・・いや、許していることだろう。
なぜなら親友の懐の深さはよく知っているし、それに“彼”を嫌えない理由がこの家にはある。
それは・・・
「あっ! マナちゃん、こんにちは〜」
母親であるナナミの脚の影に隠れている、ツインテールの女の子の姿が目に入った。
これが1番の親友が“彼”のことを嫌えない理由だ。
身長はまだまだ低く、ナナミの脚の後ろにすっぽりと身を隠せる程で、
只今、成長の真っ最中だということが見て分かる歳・・・。
名前はマナ・・・命名の理由は2人にとって初めての子なので、2人の名前の1文字目を
合わせた名だという。曽祖父になるオーキド博士は、ナナミが懐妊したと聞いた時から研究室に
閉じこもって1週間かけ名前を考えたらしいが、それは無駄に終わった様だ。
(ちなみに、“マナ”の名前を漢字表記すると“愛”となる。)
このマナは1番の親友にとってみれば可愛い可愛い姪っ子で、まるで、自分の娘かのように
可愛がっている。あのクールな印象の強い1番の親友が、マナの頭を撫でるとあの超美形の顔を
綻ばせて、ポケモンのことを教えたり、親の目を盗んで密かにお菓子をあげたりしているのだ
「・・・・・・。」
久しぶりに会ったからなのか、それとも極度の人見知りなのか。
前にオーキド研究所に遊びに来ていた時はこんな風にリアクションをとられなかったハズなのだが・・・。
なぜかマナはこちらに警戒心を抱いているようで、ナナミの脚にしがみついたまま動こうとしない。
(後に分かったことだが、マナがブラックに対して人見知りしたのは、それだけブラックが病的に
痩せ始めていて、やつれ気味、そしてそれからくる陰りのあるような雰囲気が、前に会った時とは
まるで別人だったので、そういう反応を見せたらしい。)
「こらマナ! ちゃんとレッドお兄ちゃんに挨拶しなさい。」
「・・・レッドおにぃちゃん、こんにちは」
“な”にアクセントがかかったジョウトの人の発音で自分の娘をしかる“彼”。
まぁいいよと“彼”をなだめた。すると、“彼”のお叱りを受けたマナはブラックの元にまでトコトコと
近づくと、ペコリとお行儀よく頭を下げて挨拶をした。
「マナちゃん、いくつになったの?」
「・・・3さい。」
ブラックの質問にマナは、親指と小指を寄せて片手にがんばって“3”を作ろうと努力しているが
まだ幼く、上手く指を動かすことができないので小さな手と指がプルプルと震えている。
しかしその姿は本当に愛らしい。その子どもの愛らしさに感化されて、自然とブラックの顔は
満面の笑み、いや、デレデレに近い笑顔に変わる。そしてマナの目線にあわせる為に膝を
床について小さな頭を優しく撫でてあげると、撫でられた感触から“レッド”を感じとったマナは
ブラックと同じようににっこり笑顔になった。
「レッドおにぃちゃん、すき〜」
「オレもマナちゃんが好きだよ〜」
もちろん男女間での愛情ではないのだが(たしかに性別上そうなるが)、何を勘違いしたのか
いや、逆にに過敏になりすぎているのか。“彼”はブラックの言葉に異常な反応をみせる。
そして大きな声で半ば叫ぶように話した。
「レッドとといえども、マナをまだ嫁にはやれへんぞ!!」
「もぅ、あなた!!」
大声を出してブラックを注意する夫を妻が静止させると、“彼”は我に返って落ち着いた。
そんなほのぼのとしたやり取りを見たブラックの表情は、自然と柔らかい笑みを浮かべていた。
「やっぱ子どもは可愛い。」
「その顔見れば分かる。」
ナナミがマナを連れて別の部屋に移動すると、今いる部屋にはブラックと“彼”だけになった。
“彼”が座っている椅子の前にはオンライン状態のパソコンと、モニターと周辺機器があり、
電源の入った機器は、時より何か擦っているようなギギギという音を立てる。
“彼”はブラックに背を向けた状態でモニターの方を向きながらブラックと会話を続ける。
「レッドにも、はようこの喜びを知ってもらいたいな」
「まだ早い早い。」
先程から“彼”は会話しながらマウスとキーボードを操作ているのだが、そのどちらかを使う時、
別にその機器の方に視線を向けることはなく、常にモニターだけを見つめている。
いわゆるブラインドタッチというやつで、これはパソコンを使い慣れている証拠だ。
「別にわいと違って、相手に不自由しておるわけじゃないんやろ?」
「その言い方だとずいぶん語弊があるな。オレはそんなにモテないって。」
ブラックの浮かべている笑みは決して否定的な愛想笑いではなかった。むしろ肯定的に感じる。
先程からモニターに表示されている情報を“彼”が凄いスピードで読み取っていくのを、
後ろのブラックはそれに遅れないように同じようにモニターを見つめて表示情報を見ていく。
今モニターに表示されているのは様々な出版社の刊行物のリストで、これには過去の刊行物の
情報もしっかりと記載されているのだ。
「ない言っとるんだよ。女の子のファン、未だにぎょうさんおるんやろ?」
「その、“その辺で済ませておこう。”みたいな発想はやめようぜ。」
リストにあの“本”の名が無ければ、別の出版社のリストへ。これをもう4回程繰り返している。
しかし、今のところあの“本”の名は見つからない。そこへ、この家の寝室でマナにお昼寝させて
きたナナミが、2人分のマグカップに熱々のブラックコーヒーを淹れてやってきた。
しかし、話と作業に夢中になっている2人を見て、ナナミはクスリと微笑むと静かに部屋を退出していった。
「じゃあ、イエローは・・・?」
「・・・・・・イエロー、か。」
今までは会話として成り立つ言葉と言葉の間であったが、イエローのことを話しに出された
途端、ブラックの返しは明らかに遅くなり、深く、よく考えるようにして話し始めた。
その変化に“彼”はもちろん気付いていたので、さらに深く追求してみようと思ったが、
ブラック自ら自分の考えを話し始めたので、“彼”は黙ってモニターに向き続けた。
「今は、前を向きたいんだよな〜“前”を。」
感傷めいた言葉を吐くブラックの真っ黒な瞳には、どこか寂しさと悲しみが映し出されているが、
それを越える力強い意思と覚悟が彼の身体から発せられているように思えた。
「だから・・・“上”を向いてる余裕は無いなぁって・・・
そうすると“前”しか・・・見れないかな。」
言葉の最後に浮かべていたのは乾いた笑い。
相当な何かを背負っているのは明白なのだが、おそらく、いや、間違いなくそれを聞いても
ブラックは答えてはくれないだろう。ブラックがそういう男だということは“彼”は昔から良く知っているのだ。
しばらく続いた沈黙と静寂に、“彼”はポリポリと頭を掻くと、モニターとのにらめっこを
一時的に止めて、先程ナナミが持ってきたコーヒーを一口含むと、椅子に座ったまま身体を伸ばした。
「このままじゃあ埒があかない。せやから思い切った手段をとろう。」
ブラックの感傷的な言葉に感化されたのか、“彼”はまたジョウト訛りの独特なアクセントで
そう話すと、しっかりと椅子に座り直して再びモニターと向かい合った。
「一応・・・合法的な出版をしておったら、ここにデータが残っておるはずや。」
“彼”は今まで以上の速度でタイピングとマウスさばきを披露すると、なにやらどこかのデータベースを呼び出した。
「ほんで、ここのサーバには過去50年間分の出版記録が全て残っておるんや。」
どうしてそんなことを知っているのか、また、どうしてそのサーバを知っているのか。
さらにはどうやってそのサーバにアクセスし、その情報を引き出したのか。
それは我々、一般人の理解を遥かに超越したテクニックと知識、そして情報ネットワークが“彼”に存在しているからだ。
まぁ、そうでなければ“天才”という言葉は与えられないし、
ポケモン転送システムなんてものを開発することはできないだろう・・・。
「さ〜て、わい特製のブルートフォースツール、“masakisp.exe”を作動や。」
またカタカタとキーボードを操作している“彼”の表情にはニヤリとした自信たっぷりの笑みが浮かぶ。
この“masakisp.exe”はブルートフォース攻撃によるパスワード解析を自動的、且つ高速で行うツールである。
それだけならば通常のそういったツールと同じなのだが、この“masakisp.exe”の凄いところは
“パスワード入力者情報を偽る”ということである。
普通、金融や個人情報を取り扱うデータベースにはIDとパスワードが必ず必要になるのだが
それを全く知らないと情報を閲覧することはできないし、“てきとう”なパスワードやIDを入力してしまうと
エラーメッセージと共に情報の閲覧が拒否される。・・・それをブルートフォースアタックでその名の通り
強引に突破するというもなのだが、一度のパスワード入力の度に入力者情報を偽る(変化させる)ので
“入力ミスによる警告やサーバ管理者への通報”を防ぐことができるというものだ。
(ちなみに、“ブルートフォースアタック”とは、パスワード解析法のテクニックの1つで文字数列の
組み合わせを全て試してパスワードを解析するというものであるが、詳細については各自で調べてもらいたい。)
さらには、サーバ管理のIDとパスワードをも自動的に探索、入手することによって
アクセスログを勝手に消去するという凶悪極まりない機能も搭載している。
(我々の住む時代では通常、ここまでの手順を踏む間にサーバ管理者やサーバの機能によってこの行動はパスワード
解析中に警告を受けてアクセス拒否等の処置を受けるのだが、この時代におけるパソコンの処理、演算機能は圧倒的
に進化しておりサーバからの処置前にパスワードをクラックすることも可能である。 ただし、ポケモン転送システム
のような大掛かりなシステムを取り扱うことのできるクラスの性能を持たなければ不可能である。また、そんな速度で
サーバにアクセスをしていればサーバがダウンすることも考えられるが、その点はアクセス時間の調整をしている
ようなのでギリギリ大丈夫である。)
※ここまで読んで全くちんぷんかんぷんな方は、ご自分で調べていただくのがいいと思うのだが
(ここで説明していたら、今話の半分くらいを消費しかねないので)
そんな時間が無い方を想定して、ここに一行で要約する。
要は、“彼”特製のパスワード解析ソフトでパスワードを解析する。ということである。
しかし、なぜただの出版記録がパスワードで保護されているのかというと、
この出版記録に出版社の住所と当時の編集者の名前と住所、そして・・・著者の本名と住所が記載されているからだ。
このデータベースが存在する理由は、万が一政府や国家単位で“何か”があったときにそれに対抗する
方法を探ったり、または対抗“される”のを未然に防ぐ為に存在する。
実はこのデータベースは、秘密裏に行われている政府の検閲資料の一部なのである。
ちなみに、この“masakisp.exe”の名前の由来は“彼”の本名である“ソネザキ マサキ”から
由来することもここに記しておこう。
「まあ、バレたら協会をクビ・・・もせやけどたら、逮捕されるかもな。」
そう言ったマサキはキーボードのエンターキーを覚悟して力強く叩きつけると、再びコーヒーを口に含む。
そしてしばらくの沈黙が部屋に流れた・・・
「確かにその本はずいぶんと昔に出版されとるな。・・・でも、もう絶版になっておるよ。」
マサキはパスワードを10分しないうちに解析し、画面に表示された情報をブラックによく見せ付けた。
しかし10分ないとはいえ、かなりの重要な資料を保管したサーバにこうしてブルートフォースアタックを
かけられたのだから多少何か反応があってもいいとは思うのだが。
「絶版・・・じゃあ、もう入手法は・・・・・・」
「ベストセラーでも、ロングセラーでもないっちゅーいたって普通の本せやから、古書でしか入手でけへんやろうなぁ。」
マサキの言葉にハッとする。そういえば“あの男”が持っていた本も新品ではなくかなり古い本だった。
「でも・・・この初版の年が今から軽く30年以上前じゃあ、古本屋に行っても入手は絶望的やろうなぁ・・・・・・。」
「そっか・・・。」
残念そうな呟きを聞いたマサキは、またカタカタとキーボードを叩いてある画面を表示した。
それには、住所が記されている・・・
「とりあえず、ここに行ってみたらどやっ?」
画面に表示されている住所を目で追うブラックの表情は、驚きと納得が支配していた・・・。
12月24日・・・一週間後の今日も休日、日曜日。そして恋人たちの日であるクリスマス・イブ・・・
「・・・・・・はぁ。」
ふと部屋の壁に掛けてあるカレンダーを見つめる瞳は若干潤んでいて、そして光が弱く元気が無い。
そんな瞳の主はカレンダーとまたその近くにある丸い形のアナログ時計の指す時間を一緒に見る。
我ながら今日という日にわざわざ仕事を入れたことを後悔しつつも、でもやっぱり正解だったと
何度も何度も同じ事を考えていると、先程のようなため息が出てしまうものだ。
自分のしたこと、そしてあの日見たもの。さらには今の現状・・・それら全てをひっくるめて
考えていると、思考はいつも同じ結論を導き出す。その結論を導き出した結果が
今日という日に入れた仕事なわけだ。
もし今導き出している結論が変わるような出来事が無い限りは、仕事はやはり今日入れておいて正解だ。
そんな簡単にそんな“出来事”が起こるはずが無い。それに、導き出した結論を考えれば、
そんな“出来事”が起こったとしてもきっと何にも変化は無い・・・・・・はずだ。
「・・・・・・そろそろ、行かなきゃ。」
瞳の主の憂鬱な呟きが部屋に広がったが、誰もその呟きを拾うものはいない。
時計の指した時間が自分の待っていた時間と合致すると、瞳の主は立ち上がって目的の場所へと
向かう。年末のこの時期、そして今日という日にわざわざ仕事を入れている人は自分を含めて、
本当に僅かしかないない。普通なら、きっと今日という日にあわせた、または年末という時期に
あわせた過ごし方をそれぞれしていることだろう・・・
「この辺りか、“ルシエさん”の家は・・・」
ヒューっと吹き抜けていく北風に身を縮ませると、まだ残っていた大き目の枯葉がカラカラと
地面を転がるように飛んでいった。晴れているのにどこか薄暗い空模様に、ブラックは手を温め
ようとはぁーっと白い息を吐いて自分の両手を優しく暖める・・・しかし、グローブをした右手
にはあまりその温もりは伝わってこない。
マサキの協力で得ることができたあの情報によれば、あの本“最後の楽園”の作者はここ、
トキワシティにいるらしい。灯台下暗しとはよく言ったものだ。そして、トキワシティ出身
だという“あの男”があの本を所持していた理由もこれなら多少は納得できる。
記されていた住所はあの娘が住んでいるようなトキワの町外れの住所だが、どちらかというと
マサラへと続く1番道路に近い場所で、トキワの森からは結構離れた場所である。半ば時分の故郷とも
言えるその場所は、夏になれば青々とした草木が生い茂る場所なのだが、なにぶんこの時期、この季節。
生きる力が溢れる緑の色はそこにはなく、あるのはわびしさと切なさが漂う中途半端な黄色と緑をした
何ともいえない枯れ草と葉のついていないこげ茶よりも元気のない木々。ため息一つ吐いて、しばらく
あたりを散策しながら時より鳴り響くポケギアに対処していると、後ろから声をかけられた。
「・・・あら・・・あなた、レッド君よね?」
キョロキョロと辺りを見回していたブラックのすぐ後ろからその声は聞こえた。
ブラックは声のした方へと振り向くと、声の主の姿を確かめる。
そして応答していたポケギアの通信相手に謝罪の言葉を吐くと、通信を切ってしっかりと後ろに身体を向けた。
年齢のせいなのか随分と身体を動かすのが大変そうなかなり高齢の女性。直感的に60代・・・では
とてもじゃないが若すぎる年齢。70代後半くらいだろうか。折りたたまれている顔のシワと、白髪の頭、
そして曲がった背中と腰に加えて歩行補助の為の杖。目元が垂れ下がって見えるのは、
歳のせいなのかもしれないが、その瞳を確認することはちょっとできない。
「そういうあなたは・・・もしかして、“ルシエさん”?」
近所の人には違いないだろうと、とりあえずそう聞いてみる。仮に違うとしても、近所の人ならば
ある程度のヒントをくれたり、またはその人の家への行き方を高確率で教えてくれることだろう。
そう思ってのブラックの言葉だったが、老婆はその名を聞くと、ツカツカとブラックの普段歩く早さ
の半分ほどの速度で杖をつきながら突如勝手に歩き始めた。
その予想外の反応から、どうやら自分の言った事が正しかったのだろうと理解するのに時間はかからなかった。
「・・・とりあえず、家の方へ。」
そう言うと、老婆は1人で勝手にどこかへと行こうとしたので、ブラックもそれに遅れないように、
老婆の進む速度にあわせて老婆の向かう先へと着いていった。その間、何度も北風が吹いて老婆と
ブラックの身体を冷やしたのでブラックは着ていた上着を老婆にそっと羽織らせると、
簡単な自己紹介を交えた話をしながら老婆の向かう先である、老婆の自宅へと一緒に向かっていった・・・。
この老婆、名を“ウミ”(「海」の意だが、名表記はカタカナで「ウミ」である。)というらしい。
“ルシエ”というのは“ウミ”の字“海”を音読みした“カイ”、そして“カイ”(貝)を英単語にしたときの“shell”(シェル)を
並び替えたものということだ。
「・・・そういえば、なんでオレのこと知ってるんですか?」
老婆の自宅へと向かう間での会話で、ブラックはふとこんなことを聞いた。
しかし、すぐさまそういえば自分が過去に一度ポケモンリーグを制覇していることを思い出した。
それに、“あの男”とのジム戦、そしてトキワジムリーダー挑戦、そして現ジムリーダーの親友であることを
考えれば、トキワの人々に自分の名が知られていたとしても何ら不思議は無いのだ。
流石に愚問だったかと思いはしたが、一応老婆の、ウミ婆さんの反応を待つことにした。
ウミ婆さんは耳が遠いのかそれとも考えているのか。ブラックが話しかけてから長い間黙ったまま
杖をついてがんばって歩いている。ブラックは寒さを我慢しながら老婆の動きをそっと見守る。
失礼な話だが、このくらいの年齢の相手には自分のペースを押し付けないで、相手に合わせるのがいい。
そうでないといくら元気な人であってもくたびれてしまうことだろう。
気長に気長に。白い息を吐いてブラックは薄暗い空を見上げた。決して曇っているわけではないのに
どこか暗い感じの天気。太陽もしっかりと出ているのに・・・。
「おっと、失礼。」
足元の石に躓いて転びそうになったウミ婆さんの前に、ブラックは即座に回り込むとその身体を受け止めた。
普通なら倒れる前に腕を引っ張ったり、腕を伸ばして倒れないようにするのだが、そうではなく
自分の身体全体を使って受け止める。そうやって対応できること自体がまれなのだが、それができたとしても
なかなかできないだろう。それにその動きにいやらしさや、不自然さはなく、寧ろそうあることが自然なように
感じさせるのには、根っからのそういう人間性が必要とされる。そう、自分だけを考えるのではなく
自分以上に他人のことを考えられるような人間性だ。
(厳密な話をすれば、それはまずありえないことだが)
ブラックがウミ婆さんの体勢を直してあげると、補助員的な役割を頼もうとボールからニョロを呼び出した。
「この優しさだもの。“本物”、“この人”って思っちゃうわねぇ・・・」
顔を大きく動かすのではなく、全体の筋肉を少しだけ動かして作り出す柔らかい微笑み。
そんな表情でウミ婆さんはそう呟いた。呟きの意図はもちろん、そして呟きが先程の自分の愚問の回答なのかと
考えるとどうにもちんぷんかんぷんで、ブラックは首をかしげた。
「ところで、何の御用かしら?」
寒空の下、家路を歩く2人と1匹。ブラックとニョロはウミ婆さんを左右で挟んで、ウミ婆さんのペースで一緒に歩いている。
まだまだ彼女の自宅は見えてこないのと、今、ウミ婆さんの発した言葉の語調からブラックは自分が警戒されている
のだと直感的に悟った。家がなかなか見えてこないのは、歩行のペースももちろん関係するが、それ以上に
故意にウミ婆さんが自宅とは別方向に移動している可能性があるからだ。
「あぁ・・・あの、本・・・いや・・・・・・“最後の楽園”を知っていますか?」
その単語を聞いたウミ婆さんは、一瞬だがその表情を変化させたことをブラックは見逃さなかった。
なぜならその変化は一瞬だったのにも関わらず、強く印象に残る表情だったからだ。
とても彼女の年齢からは想像もできない本の存在を知っていたことに対する驚きでも、喜びでもなく
逆に本の存在を知っていることに対する怒りでも悲しみでもない。絶妙なキレのある警戒と覚悟の表情。
その表情から見えるのは受身な感情などではなく、ブラック、いや、“本の存在を知るもの”に“向ける”
敵意にも等しい、冷たく、それでいて熱い感情だ。
「・・・何のことかしらねぇ・・・・・・」
「では、“最後の楽園”はまだありますか?」
表情の変化を見逃さなかったブラックだからこそ言える、まるで確証を得ているかのような語調の言葉。
あくまでもブラックが持っているのはあの“本”の著者の名前と住所だけしかない。
要は“カマ”をかけているということだ。
「・・・残念だけど、もう、無いのよ。ごめんなさいね。」
「いえ・・・別にいいんです。」
「ところで、あんな本のどこに興味を持たれたのかしら?」
見事にブラックの意図通りに動いたかに見えたが、老婆の語調はそれに従おうとしていない。
むしろお互いに腹の内を探りあうような展開を望んでいるようだ。仕掛けてきた若者に対して、
逆に探りをかけようとするあたり、やはりこの老婆、いや、“ルシエ・R・ヴェルディーク”は只者ではない。
だが、自分や協会の“あの男”のような予感や存在感を感じないので“同族”ではないだろう。
それにしても、かなりの修羅場を長い人生の間にいくつも乗り越えてきたことだけは間違いない。
「多分・・・いや、間違いなく、あの本に書いてあったことが、自分の歩むべき道を示していると思うんです。」
探りあいになるのを避ける為に、ブラックはバカ正直に自分の本音をそのままぶつけた。
別にこのまま探りあいを続けて、お互いの意図や考えを確かめ合うのは構わないのだが、
老婆にやる気があったとしても歳が歳だ。
わざわざ気力をすり減らす必要はない。・・・という考えもあったので、ブラックは素直に話を進めたのだ。
しかし大部分を占めるのは、相手の心を動かすには、“嘘偽りのない真っ直ぐな考えと思いを言動で示す。”
という、彼なりの思想と信念から考えだ。
「・・・・・・フィクションの小説がねぇ。」
しばし考えてからの老婆の返答。歩みを進めながら話すウミ婆さんのその言葉に驚きすぎて
「フィクションの小説・・・・・・・えっ?!」と、ブラックはモロに口を滑らせそうになったが
それでは作者である相手に失礼だし、それに、興味を持って調べに来た人間が、それについて
なにも知らないというのはいかがなものだろうか。そう思ったブラックは口からでそうになった
言葉を何とか押し留めて、別の言葉へと変換していくことにした。
「・・・それでも」
あの悪夢を思い出しながら、言葉を変換し、紡ぎだす。
「道を進みたい、いや、“今は”進むことしかできませんから。」
口内と脳内で変換された言葉は、即興での変換だったので上手い言葉にはならなかったかもしれない。
しかし、その言葉にこめられている思想と信念、そして危険なほど自己を諦めている情熱に
老婆の表情と雰囲気は冷たい真面目なものに変わった。その変化に、ブラックは自分は相当なものを
引きずり出したと確信した。それでも、進まなければならない確信が彼にはある。それがどんな凄ま
じいものであったとしても彼は進むだろう。ただひたすら、己がベクトルに従って。
「亡くなった主人の持っていた情報“も”抽象的なものが多くてねぇ、“すべて”を表したものはないの。」
ブラックがウミ婆さんから引きずり出したものは、とてつもなく大きな“覚悟”。
何の“覚悟”なのかは解らない。ただ、それは大きく、そして重い。老婆の背負っている運命なのか。
ブラックの口は何故か自然と「ありがとうございます。」と声を出し頭は勝手に下がった。
おそらく、老婆の決死の覚悟が無意識の内に強く自分の中に伝わったのだろう。
ちょうどその時、ブラックの背後に近づく一つの影があったが、ブラックはその影の気配や雰囲気から
敵となるものを感じなかったので、背後に近づかれても特に警戒しなかった。
「あらっ、いらっしゃい。・・・今日もおねがいねぇ。」
影の正体を見たウミ婆さんは先程と同じ雰囲気に戻り、その存在に対して親しげに声をかけた。
その声にはっと気付いて周囲を見渡すと、いつの間に老婆の自宅に到着していた。
やはりこのウミ婆さんという人は只者ではない。今まで自分と話していながら、自宅へと案内するかどうか
考えていたのだろう。でなければ、こうも上手く話の流れと自宅への到着がかみ合うはずがない。
「・・・・・・えっ・・・・・・な、なんで」
背後の存在から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。ふとその声が誰なのかが気になって、
ブラックは後ろを振り向いてみた。するとそこには、小柄な身体で金髪のポニーテール。
“彼女”らしいどこか可愛さを感じさせる白い布のバック。それらが直ぐに目に入った。
そしてそれは紛れもなく・・・・・・
「イ、イエロー??!」
「レ・・・レッド、さん。」
何かを暗示するように、相対的な運命が加速を始めていた。
第30話へ・・・