流れる時が青年と女とを少しずつ変えていく・・・・・・だが、青年の背負うものはただ、ひたすらに重く・・・・・・・
「えーっと、またこの職場で働かせていただきます、ヨロシクお願いします!」
さわやかで若々しい青年の挨拶を聞いた、青年よりも年上の先輩達は
それを笑顔と期待の表情、そしてひそひそ話で出迎えた。
「君の力は上からよく聞いているよ・・・積極的に頼ね。」
「はいっ!」
4、50代のスーツを着た人が良さそうなおじさんからの言葉を
青年はまたさわやかではきはきとした返事で返す。
「いい感じよね〜」
「そうよね〜」」
その声と様子、前向きで輝いている表情を見た女子の先輩たちの
ひそひそ話のテンションは上がりっぱなしで、既にひそひそ話の域ではない。
青年は苦笑いを浮かべると、自分のデスクに腰を下ろした・・・・・・
ここはセキエイこうげんポケモン協会総本部 ポケモン共存促進部 環境開発室
長ったらしい名前でいかにもエリート集団のようだが、実際は10数人の
メンバーで運営されており、野外での活動をメインとした言わば現場組だ。
そして、青年の元職場であり、現職場の正式名称だ。
PAS Chapter3 第28話 新たな日常の中で・・・
12月10日・・・午前10時ごろ・・・・・・
「・・・こんなにしょっぱそうなつゆ、何に使うの?」
「えっ?」
「・・・だから、こんなに濃いつゆでうどんを食べるの?」
ピンクは中程度の鍋に作られたうどんのつゆを見て、その顔を引きつらせた。
手に持った一袋サイズのゆで麺をガッチリと握りこむと、その三白眼の鋭い瞳でつゆを
睨みつけて、その後にブラックの顔をぐっさりとまるで射抜くように睨みつけた・・・
休日の朝、といっても時刻は午前10時を回っていて、朝というよりは昼と言ったほうが正しい。
そしてこの会話はレッド・・・いや、ブラックの家の台所でのブランチ作りでの1コマ。
「あれ、もしかして・・・ジョウトの出身?」
「・・・ッ!! な、なんで分かった?!」
ピンクのあの三白眼の睨みは確かに効果は絶大だが、慣れてしまえば彼のように、微笑んで
流す事もできるようになる。これが慣れであり、適応というものだ。
普通ならその睨みで驚くのだが、逆に今は彼の言葉で彼女の方が驚いてしまっている。
「ジョウト側ほど薄口で、カントー側ほど濃口になるんだよね〜。」
自慢げに話すブラックは、ゆで麺を予め用意してあったどんぶりに適当に入れると、ピンクが
嫌悪したその濃口のうどんのつゆをお玉ですくってどんぶりに注ぐ。すると真っ白い湯気と
共に、醤油の匂いがほわっと広がる。そして適当にきざんだ新鮮なネギをパラパラとスプーンで
すくって振りかけると、うどんに鮮やかな緑の彩りと薬味を加える。これにてかけうどんの完成である。
ブラックは自分の分を作り終えると、ピンクの手からうどんの麺を取って、彼女の分も作ろうと
したが、彼女はそれを拒否して自分で予め用意してあったどんぶりに麺を入れて、
お玉で濃口の汁をすくってかける。すると同じように真っ白い湯気がたち、醤油とダシの匂いが
ほわっと広がる。そして自分のやった結果に顔が引きつった。
「こんなの・・・うどん、じゃない・・・・・・」
自分の作り出したそのうどんの異形の姿にカルチャーショックを受けて、ぶつぶつそんなことを呟く。
困ったような表情ながらも笑みを浮かべ、きざんだネギを振りかけようとした
ブラックの手をしっかり止めて、震える手で異形のうどんにパラパラときざんだネギを振り掛ける。
するとあっという間にピンクの分のかけうどんもあつあつで完成だ。
余談だが、それでもここマサラタウンはその濃口と薄口の中間地点にあたり、
こってこての濃口でも薄口でもない微妙な濃さだ。だがそれでもそれを濃いと言うのだから、
彼女はこってこてのジョウトの人間のようである。
「まーまー、とりあえず食べようぜ?」
ブラックは今度こそとどんぶり2つを両手でもって、ダイニングのテーブルへと持っていく。
ピンクは首をかしげ、腑に落ちないといった顔をしながらブラックの後についていく。
どんぶりをブラックが持っていることには、ショックが強すぎたようで気付いていないようだ。
「それ・・・本当に食べるの?」
自分の後ろから聞いてきたピンクのその声色から想像できる感情は、間違いなく不安。
それが分かると、ブラックはニシシと笑みを浮かべる。もちろん彼の後ろにいて、尚且つ不安で
一杯の彼女にはこの表情の変化は感づけない。しかしその表情にははっきりとなにやら企てが
あることを明らかとさせているのだが、それはどうにも無邪気だ。無邪気な笑みを浮かべて、
なにやら企てる・・・これは“いたずら”や“からかい”、“意地悪”というものだ。
「あ〜でも、もしかしたら・・・」
意味深なことをちょっと大きめな声で呟くブラック。どこか“ハメ”ているのは分かるのだが
ショックと不安で混乱気味のピンクの頭では、そういう情報を感知しないし、認識もしない。
代わりに“あのしょっぱそうなうどんの味の想像”、“食べたときの自分に起こること”への
予想や想像が思考の9割以上を占めていた。もちろん、呟き終えたブラックの顔はニタニタだ
「やっぱ私、それ・・・いらない。」
先程の呟きが結構効いたようで、ピンクの顔色は少々青白い。そしてその視線はテーブルに
置かれた湯気を立てるうどんの汁にそそがれる。ブラックはそんなピンクの肩を叩き、椅子を
引いてやると、そのままその椅子に座るように誘導していく。
「往生際が悪いなぁ・・・」
目を細めて笑いながらブラックは、ピンクの正面の椅子にテーブルを挟んで向かい合わせに座り、
テーブルの上にある七味唐辛子をチャッチャッと振り掛け、ニコニコしながらピンクの方を見ている。
当のピンクの顔色は未だに青白く、目の前のあつあつうどんにかなりに抵抗を感じているようだ。
その間にブラックはピンクの分の割り箸を渡した。
(ちなみに、うどんを割り箸で食べるというのは一種の伝統のようなものだ。)
「どうぞ召し上がれ〜」
満面の笑みでピンクにうどんを食べるように促す。それを受けたピンクは、とりあえず割り箸を
パチンと割って一応食べようとするそぶりを見せるが・・・
「オイ・・・お前、先に食べてみろよ・・・」
「ああ、全然構わないよ」
ブラックはしっかり合掌して「いただきます。」というと、割り箸を割ってうどんを勢いよくすすり始めた。
それには躊躇いも戸惑いもない。そんな食べっぷりを見ていると、自然と心に安心感が生まれて
“意外に大丈夫なんじゃないか”という考えが自然と浮かんでくる。
同じようにその考えが浮かんできたピンクは、恐る恐る箸でうどんの麺を一本だけ摘むと、
それを口に運ぼうとした・・・その時である。
「あっ・・・これ・・・ヤバイかな・・・・・・」
ブラックは再びなにやら意味深なことを深刻そうに呟くと、それをしっかりと聞いてしまった
ピンクは箸で摘んでいた麺を器に戻してしまった。そしてブラックの方を向く。
「あ、いや、なんでもないよ。気にしないで」
視線を向けられたブラックはニコニコ笑いながらそう呟いて、また、うどんをすすり始めた。
ピンクは再び恐る恐るうどんの麺を一本だけ摘むと、今度こそ口に入れようとしたが、また、
ブラックが意味深な言葉を呟く・・・こんなやり取りが数回続いた後、意を決したピンクは、
思い切ってうどんの麺を口に含んで、一本のうどんの麺をちゅるりとすすった。
この時のピンクの頭の中では、相当なしょっぱさを覚悟していたため、口内は唾液がいっぱい。
そして両目を強く瞑り、なるべく舌の上に麺が来ないように、舌を縮める。ブラックはその様子を
器を持って汁を飲みながら、どんぶりで顔を隠してその様子を見る。
「・・・・・・あれ、大丈夫だ。・・・寧ろ結構、イケる・・・・・」
「当たり前だろ、だってただのうどんだし。」
ブラックは真顔でそう答えた。すると・・・
「お前、今まで!!」
ただでさえもカルチャーショックを受けている人間に、ブラックは散々不安を煽るようなことを
言ってきたのだ。そして自分はそれに合わせて、顔を青白くさせたり、ひたすらビビリ続け
てきたのだ。しかも、その一部始終をこの男に晒している・・・
ハッ気付いたピンクの顔は一気に真っ赤になった。そして三白眼の目で目の前にいる男を
思い切り睨みつけた。それを見たブラックはプッと噴出して、腹を抱えて爆笑し始めた。
そう、自分はこの男にからかわれたのだと理解したのだ。
「お前、案外素直なんだな」
「ッ・・・!!」
大きな声で笑うブラックと真っ赤な顔とギロギロの目でイラつくピンク。その楽しそうな主人の
笑い声を外で聞いたピカが(どうやら外で遊ばせていたらしい)トコトコと窓から入ってきて
ピョンっとブラックの胸に飛び込む。そしてつぶらでクリクリ、そして好奇心旺盛なキラキラの瞳で
主人を見ると、“何があったの、教えて教えて!”と訴えかける。そんなピカだけかと思いきや、
窓から2人の様子を覗いているのはピンクのポケモンであるヒメグマやオオタチも含まれている。
そんな昼よりの朝の出来事。だがここに至るまでが大変だった・・・
ピンクと、ピンクのポケモンたちとの生活が始まってからもう少しで一ヶ月が経過するのだが
正直、その期間でここまで打ち解けたブラックは凄い。なにせほんの一週間前まではブラック
が作った料理(といってもインスタント食品だが)や、買ってきたお弁当やパンなどは一切、
口にしなかったのだ。それが、一緒に台所に立って調理をし、同じものを食べている・・・。
まぁ一緒に調理といっても、食べるものは同じだが、調理するのはそれぞれ自分のものだけ。
ブラックが自然な優しさでピンクの分を作ろうとしても、彼女自身によってそれは遮られてしまう・・・。
2人分をまとめて作るわけでもない・・・それは紛れも無く、まだピンク自身がブラックを嫌悪し、信頼できていない表れでもあった。
「・・・にしても一応料理できたんだな。インスタント食品かコンビニ弁当しか食べないと思っていたが」
自分から話しかけてきたピンクにブラックは素直に驚いた。
「見様見真似だよ。・・・今まで付き合ってたコが、みんな料理が得意でさ」
最後の方は少し小さな声で、濁すように話す。
「・・・・・・皮肉に聞こえるな」
「オ、オイオイ!! 違うって!!!」
「必死になるところが余計に怪しい。」
「信じてください、ピンク様〜!!」
合掌して頭を下げるブラック。それを見たピンクは少し声色と自身の雰囲気を変えた。
「信じられるわけ無いだろ・・・?」
今までの和気藹々とした雰囲気を一撃でぶち壊すピンクの重い重い一言。流石にこれでは
何も話すことも許されないだろう・・・しかし、ブラックは合掌を解いて真っ直ぐピンクを見つめると
「じゃあ、これからはピンクが信じられるようになるよ。」
柔らかく優しい薄っすらとした笑顔を向けて、そう言い放った。空気が読めていないという
よりも、この程度の修羅場なら大丈夫といった感じの雰囲気をブラックは放っている。
「そういえばさ、お互いちゃんとした自己紹介してないよな。」
「・・・お前、以外に軟派だよな。」
一言で変わった雰囲気を一言で元に戻すと、ブラックは目を細めた笑顔になって聞き始める。
ピンクはその言葉と態度に呆れながらも、ブラックの話に応じていく・・・
“博愛”のピンク・・・
三白眼で薄い桃色をした瞳。そして茶髪のショートヘアでデニムが似合うボーイッシュな装い
と雰囲気。濃い目の肌色の肌とキリッとした顔立ちは、間違いなくキレイ系の美人。少し勝気
で活発な内面には若さと彼女の本質が見え隠れする・・・。誕生日は6月17日、歳は23歳で
ブラックの一つ下。血液型は、ブラックと同じのO型。出身はジョウトの田舎町で両親は酪農
を営んでいるらしいが、“円卓の騎士”の仕事であった“闇”の仕事をするようになってからは、
両親とは連絡を全くとっていないそうだ。
そして、なんだかんだで、結構素直・・・多分、この素直なところをあの老婆に利用されたのだろう。
「あれ・・・そういや訛りとかないの?」
「お前、今まで会話してきて解らないのか?失礼なヤツだ。」
そして同じ日の昼下がり・・・
「フッシー、“つるのムチ”!!」
技の命令後、一気に集中を高めてフシギバナのフッシーと軽度の同調状態になる。
こうすることによって、ブラックは蔓の動きをフッシーと共に制動できるのだ。
「いくぞ・・・フッシー・・・・・・」
静かにフッシーに、そして自分に語りかけるようにそう呟くと、ブラックは脳内で蔓をどうするのかを描く。
そうして生まれでたアイデア、または既に発案していたアイデアをヴィジョン化していく・・・
こうすることによって同調しているフッシーに何をどうするのかを伝えるのだ。
そしてそれによって“つるのムチ”という技を、より強力な技へと昇華させる。
技を昇華させるという行為はトップクラスのバトルトレーナーには必要不可欠であり、この昇華された
技を用いず、通常の技と戦略だけではトップクラスのバトルトレーナーにバトルを挑むのは、
正直、無謀であり、“決闘”以上の戦いになったときは命に関わる。万に一つ勝てたとしても
どれだけの損害を被るかなど想像がつかない。
(ちなみにこの、昇華された技の例として、グリーンのハッサムの“はさみ切り”や、カンナ
のパルシェンそしてジュゴンの“とげキャノン”のことなどが該当する。本作PASにおいて
なら、ブラックのフッシーの“つるのムチ”→“キャットオブナインテイル”(3章22話)
または“円卓の騎士”たちの“ウェポン”もいくつか該当する。)
「“クヌート”!!!」
大声と一緒にグローブの右手で正拳を真っ直ぐ宙に打つと、ブラックの高まっていた集中が
一気に開放されて、フッシーの蔓を動かす感覚を脳内に得る。
そして既に描かれているヴィジョン通りにフッシーの16本の蔓が伸びながら宙でそれぞれ
2本1組でよじり合い、そしてそれぞれの先端部に大きく固く結ばれた蔓の塊を作り出した。
そしてその形状をした“つるのムチ”が計8本作り出されると、それらは宙で大きくしなり、
振りかぶられて、目標の大き目の岩に向かって一斉に振り下ろされる。
瞬間、複数のピシャンというまるで落雷のような音が一緒に聞こえると、岩はやすやすと砕かれた。
その砕かれ方は普通に“つるのムチ”で砕くよりも細かく、また粉塵となってしまった部分も多い。
これは、通常の“つるのムチ”の効果を2倍以上に跳ね上げる技の昇華のようだが、
実際にバトルの場で使用された場合は、相手のぼうぎょを下げ怯ませる効果が予想される。
「こんな感じだけど、大丈夫だよな?」
岩を砕き終え、同調状態を解除して集中を緩めると、ブラックはフッシーの頭をグローブの
右手で撫でながら話しかけた。そしてその言葉を聞いたフッシーはニコニコ顔でコクコク頷く。
こうやって1つ1つの技を昇華させ、そしてそれをポケモンたちに教えていく。本来、技の昇華は
どんなトップトレーナーでも長い時間を費やしてポケモンたちに地道に教えていくのだが
ブラックは少しだけそれをショートカットしている。他のトレーナーからすれば“ずるい”ように
思えるだろうが、別にこうして技を昇華させたからといって、実戦で即座にそれを発動させることは非常に難しい。
あくまでも昇華自体を理解させやすい、教えやすいにしかすぎないのだ。しかも・・・
「うっ・・・」
ひどい目眩がおき、気分が悪くなる。世界と視界がぐにゃぐにゃとする。立っていられない。
力無くふらりと前へと倒れる身体。一瞬、他に呼び出されていたポケモンたちが驚いて、
その身体を支えようとしたが、それより早く自ら両手と膝をついて、なんとか倒れこむことだけは避けた。
膝をついた四つん這いの格好で、ブラックの息は荒い。
“現神”を倒すため、乗り越える為に全力を出し切ったブラックが陥った“限界超越”。
これが残していった後遺症は、確実にブラックを苦しめている。後遺症を何か患うのはブラック自身、
別に初めてではないが、これは前回よりもキツイ。
(ちなみに前回の後遺症とは、カンナのポケモンによる氷攻撃による手足の痺れのことである。)
前回は手足の痺れで肉体的にきたが、今度はこうして精神的に、そしてその精神的影響が肉体に
も害を及ぼしている。彼の身体に何が起こっているのか・・・
彼は今、“究極連携”状態だったのだが、それは即ち極限の集中状態にあるということだ。
本来、集中と興奮は同時に成立することはそうそう無く、単純に集中状態になる時は、
心を落ち着ける為に人間の脳内では興奮物質の生成が抑制される。のだが、それが非常に彼にはよくない。
“限界超越”の残していった常時興奮物質大量生成状態(常に脳内で大量の興奮物質が生成されて、
極度の興奮状態にあるということ。)という脳の障害の為に、彼は常時興奮していることになるのだが、
興奮物質も脳内“麻薬”であり“薬”なので一種の耐性が神経に備わるようになる。
この耐性が彼の中には既にある程度備わっていた為に、今の状態でも平静を保っていられるが
今のように極限の集中で興奮物質の抑制をした場合、集中している間はいいが集中を解いた後、
即ち再び興奮物資が大量に生成されると、それは“薬物”を使用した状態に近くなるのだが
(集中状態=“薬”が断薬した状態)
ここで大きな問題が発生する。神経に備わってしまった耐性の為に脳神経が過敏になってしまい
断薬状態から再び興奮物質が少量でも作用してしまうと、発狂寸前の異常な興奮状態に陥ってしまう。
(これを逆耐性現象という。詳しく知りたい方は専門書等を参考していただきたい。)
「大丈夫、大丈夫だから。・・・心配するなって。」
四つん這いの状態でブラックはそう苦しそうに呟く。なんとかグローブの右手を前に出して
広げて“ちょっと待って”のジェスチャーを周囲に集まった自分の手持ちポケモンたちに見せると
苦しそうにしながら呼吸と気分をどうにか落ち着けようとする。その間、彼のポケモンたちは
とっても不安そうな表情やキョロキョロ、ソワソワと落ち着きが無い様子を見せた。
「いいから、みんな動くな!!」
ソワソワ、キョロキョロ組のピカが、誰かに助けを求めに行こうと駆け出そうとしたところを
ブラックは大きな怒鳴り声で制止する。その声は普段のブラック、また、以前のレッドからは
とても想像もできないほどの重みと迫力があり、それは強敵と“決闘”以上の戦いをしている
時の彼の声以上だった。ポケモンたちはそんな声に驚き、一発で落ち着いて静かに全ての動きを止めた・・・。
そして、しばらく重い静寂が続いた後、ブラックはゆらりと立ち上がった・・・
「・・・ほらっ!! なんでもない」
両手をパッと広げて、彼らしい目を細めた満面の笑みをポケモンたちに見せると、先程の雰囲気は
一瞬でパッと明るくなった。ポケモンたちは突然の出来事にまた驚いたが、直後には心からの安心
したという表情や態度を見せた。ピカやブイは彼に身体を擦りつけてそれをアピールしてきたので、
それを受け入れて腰を落として頭をよしよしと撫でてあげる。
「ごめんな〜、心配させちゃったな」
しばらく穏やかな時を過ごすと、ブラックは再びトレーニングを再開する。
普通はあんな事があった場合、絶対に続行は無いと思うのだが、彼の意思はこの程度では
曲げられないし、曲がらない。あの時の医者の言葉を聞いてからの彼の意思のベクトルはひたすら真っ直ぐなのだ。
しかし、トレーニングを再開した理由は実は意思云々というよりも、いくら晴れているとはいえ
12月の寒空の下で、長い時間のんびりとはしていられないというのが真実だったりする。
だが彼がトレーニングを怠らないのは、今の強さを保持するためというよりも、さらなる強敵との戦い
そして大規模な戦いをどこか感じ取っているからだ・・・・・・
(・・・そろそろ、だよな)
ふとブラックはあのマスターボールを懐から取り出した。
マスターボールは今までずっと懐に入っていた為に、彼の体温を受けてとても暖かい。
そしてその中で暖かさを受けて静かにしているポケモンをじっと見つめた・・・
思えばあの時、あの一張羅の懐にはこのマスターボールが入っていた。そう“円卓の騎士”の
“鋼鉄”のグレイの戦いの時だ。グレイが繰り出したメタグロスの回転斬撃によって
このボールは中のキメリアンごと切断される危険は間違いなくあった。
(実際、あの一張羅はグレイのハッサムと一緒に切断されて丈の超短いスーツとなったのだが)
キメリアンのいるこのボールは丁度懐の部分に刃が来なかったので無事だった。
あの時の行動の軽率さには反省しなければならないが、(無論、キメリアンへの謝罪は済ましてある)
心のどこかで、絶対に大丈夫という予感がなぜかあった。ただそれは信頼の延長線上ではなく、
もっとアバウトな“運命”のように思えるような気がしてならない・・・
(そんなこと、考えたってしょうがない。)
ブラックはマスターボールを一度ぐっと握りこむと、中からキメリアンを呼び出した。
普段はなるべく人目がつかないように(キメリアンをめぐっての大きな戦いを避ける為)しているので
こうやってちゃんと外に出してあげるのは結構久しぶりだ。
そして呼び出されると同時に、ブラックのポケモンたちが久しぶりのキメリアンとの再会に喜ぶ。
「悪いな、長いことボールの中で」
(いえ・・・中は外と違って暖かいですし)
キメリアンから送られてくる思念波はとても穏やかだ。それに安心すると、しばらくの間、
最近の調子などを中心に話をする。それによると、もっと外の空気を思い切り吸いたいらしい。
ブラックは頭をかきながら、ゴメンと頭を下げた。
「そういえば、あの・・・たぶん、・・・そう、たぶんなんだけどさ・・・・・・・」
話が一段落ついた後、ブラックは雰囲気を変えて話し始めた。その内容は少し言い辛いようで
少々躊躇っているのが見て取れる。キメリアン以外のブラックの手持ちポケモンたちも、
その雰囲気にキョロっと彼の方を向く。
(・・・・・・私の力を使いたいと・・・?)
キメリアンはブラックの様子を見て、そう直感的に感じ取ったので思念波を送る。
それを受けた彼は、自分の言いたかった事を言い当てられて驚き、動揺したが
しばらくしてから無言で頷いた。
「たぶん、これから先・・・お前の力に頼らなければならない時が来ると思う。」
(どれくらいの力ですか?)
「・・・それこそ、全力だ。」
(・・・・・・。)
キメリアンの全力は、単身で全国支配を計画できるほどの力。
“広範囲殲滅形態”で全力を出すことができれば、多少大きな街でも5分としないうちに塵一つ残さないことも可能だ。
ただ、その力を揮うのはキメリアンで、多くの命を奪うのもキメリアンだ。直接ブラックが奪うわけでも、
揮うわけでもない。ポケモンにだって心はある。そして力を揮ったとき、最も傷つくのはブラックではなく、間違いなくキメリアンだ。
(主人が望むのなら、力を貸す・・・それが“ポケモン”でしょう?)
「・・・いや、ポケモンにだって意思はある。」
(・・・・・・。)
「それに、オレとしては・・・お前には戦いを忘れた生き方をさせてあげたいって考えもある。」
(・・・・・・。)
しばらくの静寂・・・。その間に12月の冬の風が吹いて、ポケモンたちがブルッと震えた。
そしてキメリアンは自らの意思をブラックだけに伝えた。
「・・・ありがとな、キメリアン。」
キメリアンの答えを受け取ると、ブラックはふぅっと息をはいた。
そしてそれとほぼ同じタイミングで、腰に引っ掛けていたプライベート用のポケギアの音が鳴り響いた。
どうやら残党員らしい。まだ、ロケット団残党員を導くという問題は解決されていないのだ。
(やれるうちに、やっておかないと・・・)
ブラックは呼び出し音の鳴るポケギアを掴んだ。
そしてその日の夜・・・
ブラックが帰宅した頃にはピンクは寝室で眠っていたので、誰の出迎えがあるわけでもなく
真っ暗な部屋と家が待っていた。しかしそれでも、自分が普段寝床にしている居間はしっかり
と暖房が効いており、部屋の中は外気と違ってかなり暖かい。これが1人暮らしだと、真っ暗な
上に暖房の効いていない非常に寒い部屋が待っていたことだろう。これが“一応”同棲の利点だ。
ブラックは風呂を簡単にシャワーで済ませると、明日も仕事だと着替えて居間のソファで横になると、
厚めの毛布をかけて目を閉じた。そして今日一日の疲れを一晩ぐっすり眠って癒す・・・はずなのだが
「やっぱ、眠れないか・・・」
興奮物質の異常生成によって、ほぼ常時一般人の興奮状態に近いブラックはとにかく寝つきが悪い。
その為に睡眠不足で目の下に真っ黒い“くま”がよくできてしまう。
しかも、その寝つきの悪さは改善されないのでなかなか“くま”が直らない。・・・そう、このままでは。
「やっぱ、アレしかないか。」
真っ暗な天井に向かってそう呟くと、起き上がって台所へと向かう。
そして食器の入った戸棚の奥から白い紙袋を取り出し、そこから輪ゴムでまとめられた薬の束を出すと
少し変わった形状をした錠剤をそこから適量押し出して手のひらにのせた。
これは睡眠導入剤・・・いわゆる、睡眠薬だ。
しかも超短時間作用型に分類されるもので、非常に強力な睡眠薬である。
(コレ飲むと、どうにもいい夢を見ないんだよな・・・)
そんなことを思いながらも、しぶしぶブラックは病院から渡されたその睡眠導入剤を口に含み
コップに汲んだ水で飲み込んだ。飲み終えると、居間に戻ってソファに寝転び、
また厚めの毛布をかけて目を閉じた。すると、しばらくは意識が残っていたのだが、10分しないうちに
ブラックの強烈な眠気に襲われてそのまま眠りについた・・・。
深い眠りへと移行するブラックの眠り。そこでブラックは夢を見る・・・・・・
「・・・そうだな、お前を殺す前に話さなくてはならないことがあるな。」
あの黒服の男が抹茶色のハードカバーをした一冊の本を取り出す場面の記憶。夢というよりは
ほぼ回想に近い。そして投げて身体の上に置かれたその本の保存状態はかなり悪く、
あまり大事にされてはいなかったのか。それとも・・・・・・入手が非常に困難で、こんな古本でしか入手ができなかったのか。
ゴシック体の黒い字ではっきりと書かれたタイトルは・・・・・・“最後の楽園”タイトルの下の方を
目を凝らして見てみると、その下には小さくだが筆記体で“The last paradise”と書かれている。
ブロック体に書き直せば“The last paradise”となる。
“The last paradise”・・・まさに“最後の楽園”を表す言葉。
本の内容は覚えていない、というよりも読んだかどうかも定かではない。
もし仮に読んだとすればこの夢の中で何か思い出していることだろう。
視点が動き、今度は本の背表紙が映し出される。
背表紙にも同じように“最後の楽園”と大き目の字で書いてあるのだが・・・
その下の方、この書名の下、しばらくの空白が続き、そこには何か書いてある。
“ルシエ・R・ヴェルディーク”・・・十中八九著者か作者名。ただ、全く聞いたことの無い名だ。
それに、名前の感じから国外の人の可能性が高い。確かに知り合い、というか元恋人が
そんな感じの名前をしていたが・・・・・・流石に関係ないだろう。
(ルシエ・R・ヴェルディーク・・・ルシエ・・・女性か?)
名前の響きからは女性を連想するが、国外の人ならば文化の違いから判断は難しい。
しかし、この本を入手するとすれば、これは大きな手がかりだ。
(アイツは、この本を読んでおけって言ってたな・・・内容を覚えていないなら、手に入れないと・・・)
ここでふと、目の前に本があるのだから開いてみようと思った。
この夢の中で本の情報を手に入れてしまえば、余計なことに気を使う必要は無くなる・・・。
そう思い、本に手を伸ばす。そして夢の中で本のページが開かれた・・・・・・その瞬間
「こんなモノがあったとはョ〜」
全身を襲う圧倒的威圧感。聞こえてきた成人男性の声の正体は全くはっきりしない。
しかし、夢の中に現れたということは、間違いなく記憶のどこかに封じられている存在には違いない。
そしてそんなことを考えている間に、開いていた本がどこかに消え去り、視界が唐突に真っ赤に染まる。
しかもこの真っ赤の赤は、血の赤で、とてもドロドロしていて非常に気持ち悪い。
そしていままで見えていた何もかもが消え去り、真っ赤な血の世界だけが広がっていく。
何が起きたのかもわからない。そして広がっていくその血の赤はどんどんどんどん世界を埋め尽くし、
やがて、血の悪夢へと変わっていく・・・。
(・・・ぐぁああああああああーーーー!!!!!)
夢の中での意識が狂ったように絶叫すると、パチッと目が覚めて、朝を迎えていた。
今日もこれから職場へと向かわなければならない。
いつの間にか荒くなっていた息を整えたブラックの額からは大粒の脂汗がドロドロと流れ出ていた。
「・・・・本、ルシエ・R・ヴェルディーク・・・“最後の楽園”・・・・・・」
夢の中、記憶の中に封じられていた言葉をブラックはポツリと呟いた。
“運命”の“絆”は確実にその姿を現し始める・・・・・・
第29話へ・・・