雨が止み、冬が訪れる・・・季節の始まりは、2人の始まり・・・・・・
エメラルドの閃光が雨を止ませた。
しかし分厚い雨雲は晴れず、太陽は見えない。
雨の余韻が残る泥の地面の戦場には
一匹の戦鬼が肩で息をして立っている・・・
時が止まったかのような静寂がマサラを包むと
戦鬼の息遣いだけが鮮明に聞こえた。
びしょ濡れで泥だらけの戦鬼の姿を
観戦者たちはひたすら遠方から見つめ続ける。
一方、北方の彼方では風が吹き始めていた・・・・・・
PAS Chapter3 第26話 泥まみれの抱擁
「貴様ぁぁぁぁぁっ!!!」
トーンの高い女性の叫び声が今の静寂を打ち破り、戦場周辺の時をゆっくりと動かし始めた。
観戦者の背後から聞こえてきたその声には明らかに激しい憎しみと怒りが込められているのに
なぜか痛々しさを感じてしまう。なぜなら、ヨロヨロとした足つきで、彼女が、博愛のピンク
が走ってきたからだ。
その姿はいたって普通といえば普通。ただ、衣服のいたるところが破れていたり、汚れてい
たりしているところを見ると、彼女が今まで何をしていたかはトレーナーならある程度は見当
がつくことだろう。そこまでボロボロとは言えないのだが、その姿とヨロヨロの走り、そして
声が合わさると、まるで葬式の最中に大声で泣き喚き、お棺にすがりつくような女性のように
見えてしまう・・・。
感情のベクトルが全くの反対なのに、観戦者たちがそう感じてしまう理由は、それだけ多く
の戦いを経験してきている証拠。大きな力と力がぶつかり合い、どちらかの勝敗が決した時に
心に残るのは勝利の喜びではなく、大きな虚しさと悲しさだけ。またこうしてその虚しさと悲
しさを味わうことになった人間への同情と哀れみ。どんなに優しい人がいたとしても、愛する
人がいたとしても、その心の陰りと傷は早々癒える事は無い。
(あの子も・・・)
(“被害者”・・・か・・・・・・・)
観戦していた親友たちの目には、彼女の姿はそう映った。ブラックが決着をつけたであろう今
彼女が敵か味方かはもうどうでもよい。一見、冷たいことを思っているように思える彼らだが
根っから優しい人間の彼らはどこの誰とも知らない彼女への同情と、それをどうすることもで
きなかったことへの怒りが確実に湧いていた。戦いは必ずしも美しく終結するとは限らないと
身をもって知っている彼らだからこそ、同情や怒りの感情は強く大きかった。
(・・・・・・。)
対して冷酷な瞳。黒い傘を差しているあの男は、まるで“観察”するように彼女を“観”る。
相当な慣れ。この状況下においてもあの男は何を思うわけでもなく、ただ彼女を“観”ている
のだ。“葬式の最中に大声で泣き喚き、お棺にすがりつくような女性”に見えてしまうのに、
それを冷静に“観察”。それが出来るのは道徳心が欠如しているか、割り切った“プロ”か。
こうして“観察”しているところを見ると、ほぼ間違いなく後者になるだろう。だとしたら、
彼の目には何か意味があって彼女の姿が映っているのだろう。でなければ、彼女の一挙一動を
見逃さないようにしているここまで強烈な瞳は普通出来ない。
「・・・ハァ、ハァ、ハァ、ハァァ・・・・・・」
興奮が未だに冷めていないようで、肩で息をしながら白い息を口から吐く。今まで降り続いて
いた雨の影響で、カントー全域の気温はグッと下がったようで、すぐに消えてしまうが、確か
にブラックの口から白い息が見えるのだ。それと同じように未だブラックと“究極連携”状態
の彼のポケモンたちも白い息を吐いている。
熱い熱い白い息。身体中を駆け巡る興奮の熱を何とか排出しようとしているのか、規則的な
ように思えて、徐々に呼吸のペースが速くなっている。このままの状態が長く続けば、過呼吸
になり、いずれ意識を失うだろう。
(今の状態の彼に近づくとは・・・相当、怒っているみたいですねぇ。)
冷静に“観察”するあの男。それもそのはず、どの場面からこの戦いを見ていたかは定かでは
ないが、言動から、彼女が決着の場面を見ていた可能性は高い。しかし、ここまで異常な決着
を見ているのに、腰が引けずに決着をつけた張本人の元へと近づくだろうか? こうして接近
することが出来る人間ということは、ブラックとの関係が深い人間か、それとも場の雰囲気を
全く読めない完全な馬鹿か。あるいは、自分と“同族”か・・・・・・。
時を待てば自然と彼は“止まる”が、それを今の感情に感覚を潰されて感じ取れないのだろ
うか、ピンクは三白眼の怒り形相でブラックの所までヨロヨロの足取りで近づいていく。精神
そして肉体的な疲労、そして彼女の帯びる悲しげな雰囲気で止めることができない親友たちと
“観察”の為にあえて止めようとしない黒い傘を差したままのあの男。今のブラックに近づく
ことがどれだけ危険かをおそらく明確に知っているだろうこの男はそれでも彼女を止めない。
(・・・今のブラックは腹をすかした虎、そして近づくこの子は弱った小動物。
腹の足しにはなら無いけれど、空腹を一時的に逃れるには丁度良い対象・・・)
黒い傘の下にある瞳は、弱った小動物がどうやって腹を空かした虎に喰われるのかを知りたい
ようで、今度はブラックの一挙一動を見逃さないように鋭い視線を向ける。この男、別に喰わ
れる様子が見たいのではない・・・どうやって虎が喰うのかを見たいのだ。冷静、いや、冷酷
な瞳は、彼女の立場や存在を知りたいだけでなく、虎の動きも知りたいようだ。
「なんて事を・・・・!!」
彼女を見ていると悲しくなる原因はここにあったのかもしれない。彼女の口から吐かれた言葉
は、怒りによってではなく、悲しみによって震えていた。ブラックの泥だらけのワイシャツを
背中から両手で掴むと、今いっぱいの力でワイシャツを引っ張って、こちらを振り向かせよう
とする。無論、この間もブラックの精神状態は最悪で、自分自身を抑えることができない。
無言でユラリと振り向くブラック。振り向くとわかった瞬間に、ピンクはワイシャツを掴む
手を離した。そして、極度の興奮で真っ赤に充血した目と、怯えと怒りが共存する目が互いの
目と目を見つめ合う・・・・・・
「ハァハァハァ・・・」
荒い息遣いが、再び静寂に包まれていた戦場を支配する。非常に生々しく、そして熱を帯びた
その息は、外気に触れると真っ白く染まった。静寂は緊張を呼び、緊張は精神を煽り、煽られ
た精神はさらにその崩壊の速度を加速させる。見つめ合う目と目の奥にある互いの感情と意思
を感じあえてはいないようで、ブラックはそのドス黒い瞳に映るピンクを外敵と捉えた。
「貴様は、私の・・・場所を!!」
涙を浮かべて必死に自分の感情を伝えようとするピンクの声が、今のブラックには雑音にしか
聞こえない。それも高い音の雑音、例えるならマイクのハウリング。女性特有の高い声が原因
になっているようだ。その耳障りな雑音をぶつけてくる目の前のピンクに対する殺意の感情は
声を聞けば聞くほど増していき、その感情が、ピンクの存在をただの“雑音発生器”にしか認
識させなくした。そうなると自然と人間は耳障りな雑音を止めようとして、“雑音発生器”を
“壊す”しかなくなる・・・・・・
「・・・・・・ぁっ」
喉のわずかな隙間から声のようで声でない、詰まった音が漏れ出した。ピンクの女性らしい
細い首をブラックの両手が思い切り絞めている。しかも両親指が喉を押しつぶそうとしている
ところを見ると、そこには確実な殺意が生まれていた。観戦者たちはその突然の凶行に驚いて
しまい、誰も止めることもできない。両手で絞めている“それ”を見るブラックの瞳は、冷酷
と殺意を遥かに超越し、一切の光が宿っていない。目はどこか虚ろで、心の奥底には熱い感情
も、冷え切った感情も無い。とにかく何もかもが無い。複雑なことなど考えていない、力が無
い瞳なのに、力と興奮がこめられている証拠でもある目の充血が起こっている・・・・・・。
そこにあるのは紛れもない狂気。空っぽになった心は自然と狂気で満たされており、無いはず
なのに、それだけが唯一存在している・・・。
全てを失うように、失うように、と身体が動く。全てを否定するように身体が動く。感情も
理性も、思い出も信頼も、愛も情も、ありとあらゆる“ある”ものを失うように。勝手に身体
が動く・・・。人間の極限である“第四段階”に到達したことにより、ブラックは“心”で思
い描いていた力。“無”の力を完成させてしまったのだ。
「・・・ぁなせ・・・」
何とか搾り出した声も、ブラックには雑音にしか聞こえない。それに、仮に聞こえていたとし
ても、今のブラックでは“無”の力にそのまま従って全てを失うようにピンクを殺すだろう。
誰にもその死が必要とされないとしても、ブラックにはここまでの戦いを支え続けた戦意の源
が心にあるので、その意思通りにピンクを殺す。今の彼の戦意の源は故郷や仲間たちへの愛。
その愛は非常に大きく、愛ゆえに、彼はこうして故郷と仲間を傷つけた者たちを許せない。
“無”の力を揮うのに、彼の心には愛という名の熱き感情がこうして存在している。逆に、
熱き感情が存在しているのに、彼は“無”の力を揮える。今までは身体と心が、または意志と
行動が全く伴わず、互いに反発しあっていたのだが、ついに、心の中で反発が発生している。
意思決定と感情を司るその仮想的な人体の器官でのそのエラーは、人間としての生活を脅かす
脅威のエラー。自己を保つことなど不可能で、専門的な病院にいけば、一種の精神病として、
立派な診断書を書いてもらえるほどの病。心の葛藤と矛盾が引き起こすこの心の病が、今の状
態に拍車をかけてしまっている。仮にこのままピンクを絞殺し、過呼吸などで気絶等したとし
ても、彼の生物的な命と、社会的な命がこの病によって短くなることは間違いない。
「ハァハァハァハァ・・・!!」
過呼吸で一見興奮しているように思われるが、彼は一切興奮していない。仮に身体が興奮して
いるとしても、心や精神は全く風の吹いていない日の静かな湖面のように穏やかで安定。そし
てとっても静か・・・。その証拠に、ピンクの首を絞める両手の力は“徐々に”強められてい
る。精神が興奮しているのならこうはならない。力と感情に任せて思い切り絞め殺す。
(殺される・・・!!!)
憎しみと怒り、そして悲しみが混ざり合うピンクの心が、“生”への執着を諦めようとしてい
た。それもそのはず、先程から何度か首を絞めるブラックの手を払いのけようとしているのだ
が、いくら力をこめて手を叩こうと、また、引っ張ってみても、まったくブラックの両手は、
自分の首から離れていく気配さえ見せない。これはかなりの絶望を覚えるが、同時に憎しみと
怒りを加速、増大させていく。苦しみの中、三白眼の両目がブラックを射抜き殺すように鋭い
その視線を虚ろな目の瞳に向けて、最後の抵抗をしてみせた。・・・・・・その時だ。
(・・・・・・サクラ?)
命の危機にあっても、激しい感情を失うことなく、どうにかしようとする力強い意思。その、
精神的な強さと、感情では隠せない身体全体から溢れ出るその人間の雰囲気が、どこか面影を
残している・・・ブラックの心の奥底、本能によって破壊された心の欠片に宿る“声”の存在
が目の前の怒れる女をそう認識すると、不思議なことにブラックの肉体的な興奮は一気に鎮ま
り、全身から力が抜けて、首を絞める両手もパッと解かれた。それこそ、強力な鎮静剤を投与
されたかのように、本当に一気に興奮が鎮まった。遠くからこの様子を“観”ていたあの男も
これには驚き、興味をあからさまに示す。親友たちも同じような反応をしたが、同時に、凶行
が未遂で済んだことへの安堵を覚える。
「・・・・・・!!!何するッ、放せ!!!」
ブラックの両腕は彼自身の意思に関係なく勝手に動き、首に真っ赤なリングをつけたピンクを
身長の都合で首の辺りで受け止め、両腕で思い切り抱きしめる。これがイエローなら、丁度胸
の辺りになる。抱擁されたピンクは訳がわからず、どうにか身体を動かして抵抗を試みるが、
今の自分の体調と、ブラックの抱擁する力の強さ、そして、心の奥底でそうされることを望ん
でしまうという3つの要素が作用して、抱擁から逃れることがどうしてもできない。
「放せよっ!! 貴様に抱きしめられる筋合いは無い!!!」
当然の感情をブラックの耳元で叫ぶが、当の本人はそんなことよりも、抱きしめれば抱きしめ
るほど得られる精神的安定を無意識のうちに求めてしまい、放したくても放せない。そうして
肉体の興奮が鎮まり始めると、本能によって破壊されていた心が、自然と再構築されていく。
「放せって言ってんだろ!!!」
かなり強い口調で拒否するピンクに構うことなく、今の自分を完全に落ち着かせてくれる存在
を両腕一杯、いや、身体一杯で抱きしめて離さない。心が再構築されて、自らの意思も回復し
てきているのだが、今度は、人を抱きしめる心地よさ、抱擁で感じる人の温もりを放せない。
例えるなら真冬のコタツ・・・一度入ると、これがなかなか抜けだせない。
強靭な精神を持つブラックが、マサラ帰還後、初めて心と身体を癒せた一瞬。生理的、感情
的にブラックを嫌悪するピンクは、いまだに怒声と身体での抵抗で抱きつくブラックをどうに
かしようとするが、自分を求めるブラックをどうにもできない。
「放してくれよ・・・・・・」
しばらく間、抱きしめられるピンクの目には涙が浮かび始め、声はその影響を受けて涙声。嗚
咽こそしてはいないが、すすり泣いているような感じだ。その涙声の真意は、どうしても放し
てくれないブラックへの懇願と、絶望だが、一番の原因は、ブラックにこうして抱きつかれる
ということに、自分自身が“求めている”節があるということだ。間違いなく自分はこの男に
生理的、感情的に嫌悪を抱いているのだが、こうして抱きしめられた時、本当にわずかだが、
心の奥底で“懐かしい”という感情と、喜んでいるものに気付いてしまった。その思いは仲間
たちへの裏切りで、この男がやったことと同じ事で・・・自己嫌悪して、泣くしかなかった。
((やっと逢えたね・・・・))
空を覆っていた薄暗い雨雲と雨雲の間にスリットができると、そこから差し込む日の光が地上
の男女を照らし出す。時期が時期なのでその光は弱々しく、あまり暖かくは無いけれど、若干
空気中に残っていた雨の水分が、豪雨の余韻が光を受けてキラキラ輝くと、輝きが足りない分
の光を補って、周囲から見ればそこは十二分に光り輝く2人だけの世界・・・。おそらく、天
にも祝福される2人なのだろうと、否応無しにも思ってしまう。
時を越えた再会・・・これが意味することは一体何なのだろうか・・・・・・。
「おつかれさまでした。」
2人だけの世界に水を差すように聞こえたのは、あの男の声。いつか誰かがこうして水を差さ
なければ、永遠にこの2人はこのままな訳だが、それにしても少々そのタイミングが早い。早
期接触、早期調査・・・この男の魂胆は間違いなくこれ。あの状態のブラックが一気に鎮静し
た原因を探るのと、この女とブラックの関係を明らかにしておきたいのだろう。あの男は、ピ
ンクのそば、後ろにまで近づくと、ブラックをギョロリと見る・・・
「早かったな・・・こうなることは始めっからしってたけどさ。」
「そちらのお嬢さんも・・・関係者じゃないんですか?」
「わかっているのなら話は早い」・・・そんな会話を省いて、あの男はどんどん話を進める。
衰弱した声で話しているというのに、一切の心配の言葉も無い。まぁ当然といえば当然だが。
この男はなぜ、このタイミングでこの場所に居るのかとか、その目的についての説明しない。
ただ、ブラックの読みとしては、この男が知りたかったことは自分のことで、彼女たち、即ち
円卓の騎士たちに興味を抱いてここに来たわけではない。始めから疑ってはいたが、協会支給
のポケギアがかなり怪しかった。おそらくこちらの居場所を常に把握できるように発信機でも
取り付けられていたのだろう。今日になって唐突に発信機がマサラに動いたので、それを不審
に思い、マサラへとやってきた・・・一応、自分は円卓の騎士へと潜入して内部壊滅させるこ
とが任務になっていて、しかも訳あってマサラに帰りづらく、あの古城で暮らしていた人間が
何の前触れもなくマサラに帰れば、確かに怪しいだろう。
(・・・関係者じゃないんですか?・・・・・・か。)
あの男の言葉のイントネーションから、ピンクに興味を抱いているのは明白だ。自分の読みと
は違った行動を見せるあの男に、ブラックは直感的にこの男の目的を悟る。おそらく、発信機
の考えが正しいとして、あの山中の古城を突き止めただろう。そこで何らかの発見をしたので
こうして騎士たちを求めることにしたのだろう。
ここで、逆に考えてみる。発見のしたものの何かを突き止めるために騎士たちを求めるなら
ば、騎士たちを求めれば発見した何かが解る。戦闘能力が異常に高い影の集団に何かを見出す
ということ自体がどうにも怪しい。それにこの集団、円卓の騎士にはキクコの影だってある。
キメリアンに隠された謎、“これから”の“鍵”を知るには、ここで、ピンクを失うわけには
あの男にピンクを渡すわけにはいかない・・・!!
「・・・いや、コイツはオレの・・・・・・女だ。」
「貴様、何を言っ!! わっぷ!!!」
ギュッと自分の身体に引き寄せるように力強く抱きしめて、いや、後頭部に手を回して、肩の
辺りに顔を押し付けたの方が正しい。とにかくピンクの言葉を封じる。目的はどうあれ、ここ
まで力強い抱擁は、イエローに対してもやったかどうかは定かではない。言葉を封じられて、
もがもがともがくピンクを両腕で押さえつけて何一つ発言させない。
しかし、ブラック自身、自分の口からでた言葉に正直驚いている。とっさとはいえ、よくも
こんな言葉が口から出たものだ。我ながら、やはり自分は馬鹿だと再認識させられる。だが、
ここはどうにか切り抜けなければ。真実への道を閉ざすわけにはいかない。
「・・・・・・そうですか。」
嫌にあっさりとあの男は答えた。ブラックも拍子抜けしてしまうところだったが、どうにかこ
らえる。引いてもらえたらもらえただけラッキーなのだが、何故こんなに簡単に引き下がるの
だろうか。・・・考えられるとしたら、泳がせておいて尻尾を出したら捉えようという魂胆。
しかし、ここに来るまでの彼女の言動を見ていれば関係者であることは明白なのだが。
でも・・・・・・
(カマ掛けたりする体力も、気力も、精神力も・・・もう、無い・・・・・・)
ブラックはその後もただずっとピンクを抱きしめて放さなかった。あの男はずっと黒い傘を差
し続けて、2、3ブラックに質問や、今後の動きを説明していたようだが、ブラックはそれを
ただうなずくことしか出来なかった。抱きしめられたままのピンクも抵抗し続けているのだが
ブラックの抱擁の力を上回る抵抗ができず、ひたすら抱きしめられ続けていた。その目には涙
が溢れ続けている・・・。
「身元の割れていない人間以外は全員回収してください。・・・撤収します。」
どこからともなく取り出したポケギアに向かってそう話すと、あの男はブラックに背を向けて
1人、野営用のテントの方へと歩いて向かう。履いている茶色の革靴が泥に埋もれて、非常に
歩きにくそうだが、黒い傘を差したまま、その場を立ち去った・・・。
(何がある・・・円卓の騎士に・・・)
スーツの後姿をブラックは見つめる。今回は運が良かっただけだ。当分は、前以上にコソコソ
動く必要があるだろう。まだ、全ての団員たちを導いた訳では無いのだから。ブラックは彼ら
が、いや、あの男がいなくなるまで、腕の中でもがいて抵抗し続けるピンクをずっと抱きしめ
続けた。そのうち、泣き出してしまった彼女の後頭部を優しく優しく撫で続ける。この辺り、
今までの経験が無意識のうちにさせているのだが、この男、こうしている姿が嫌に似合う。
「悪かったな・・・本当に。」
もがもがしているピンクに強い言葉で言い聞かせる。そこには甘い感情は一切存在していない
彼女の存在が何であれ、この女は故郷と親友、そして仲間たちを傷つけた実行者たちの一端。
自分が巻き込んだこととはいえ、やはり実行者たちへの感情はいいものではない、寧ろ、怒り
を感じているくらいだ。第3者の視点からすれば、やはりその怒りは不条理だ。身勝手すぎる
怒り・・・。ブラックが協会の命通りに動かなければ、ここまでの戦いには、結末にはならな
かったはずだ。しかしブラックは、それを理解していながら怒りを覚える・・・。
ピンクは本当は噛み付いてでもこの腕をから脱出したかったのだが、いや、実際に何度か噛
み付いてみたのだが、この男は全く動じない。痛みを感じていないのではなく、耐えているの
だが、顔表情にそれを一切出さない。“目的を達成しようとする意志の強さ”。本来なら素晴
らしい長所であるのだが、今の状況のピンクには絶望を与えることしかできず、涙を流す。
あれだけの雨を降らせた雨雲はいつの間にか完全に消え去り、ほのかに暖かい太陽の光を浴
びて、2人の姿は傍から見れば抱き合う男女・・・。そこまで殆ど止まっていた時が動き始め
親友たちはブラックとピンクの雰囲気を察すると、おそらくどこかに残されているか、病院に
搬送されたであろう、後輩たちを探しに行った・・・。
「・・・・・・レッドさん。」
ボソリと寂しそうに呟くその人の名。そうして2人の姿を遠くから見つめるのは金髪の女性。
彼女も親友たちと同じように、その2人の雰囲気に近づくことさえできなかった。
胸が、ズキリと痛んだ。
電気や水道はまだ止められてはいなかったらしく、明かりを点けてガラスのコップで水が
飲める。同棲時代の名残である居間の2人掛けソファにぐったりと横になった。泥だらけの
衣服に構える余裕は今は無い。精神的にも、肉体的にもとっくに限界を超えたブラックは、
こうして横になると今にも意識を手放しそうだ。仰向けになって、電灯の明かりが目に直接
入ってこないように、右腕で自分の視界を封じる。とにかく今は、ぐったりと寝たい気分。
一方のピンクは、ブラックの家の居間、それも彼の、ブラックのすぐ近くで体操座りで塞
ぎこんでいる。時より聞こえるすすり泣きが、ブラックにとっては睡眠妨害の他ならない。
彼女もまた身体は濡れて、ブラック程ではない汚れ、傷ついている。テーブルの上にはシン
プルなガラスのコップに冷たい水が注がれていて、飲みたくなったら飲めと、ブラックに勧
められた。しかし、その一杯の水でさえも何か毒のようなものが入っているように思える。
「とりあえず・・・今日はここで寝てくれ。シャワーでも何でも、勝手にしてくれて構わないから・・・。」
ハァハァと未だに息は荒い。しかしそれは興奮ではなく、苦痛によるものだ。この時、実は
ブラックはかなりの高い熱を発熱していて、即座に病院に行かなければならない状態だった
のだが、病院にあまり良い思い出の無いということ、自由を奪われる入院が嫌。という理由
で病院には行かなかったのだが、もっと大きな理由を言えば、やはりピンクが心配。という
のが大きな理由だ。
「・・・台所・・・・・・どこ?」
塞ぎこんだ状態で発声しているので、若干こもったような声で聞こえてきたのは、ピンクの
涙声。その内容はブラックの善意、いや、当然に甘えたいという内容だ。
「そこのドアを、真っ直ぐ行った先・・・風呂場はそこからちょっと奥に行ったとこ・・・。」
別に彼女の方を向くわけでも、起き上がるわけでもなく、天井に向かって話しかける。それ
を聞いてから少ししてから、ピンクはスッとあまり音を立てずに立ち上がると、言葉の通り
台所へと真っ直ぐ向かっていく。ブラックはそれを見送るわけでも、確認するわけでもなく
仰向け、そして右腕で両目を隠してソファで横になっている。
ガチャガチャと台所で何かを探している音が聞こえる。これもまた、睡眠妨害でしかない
しかし、その睡眠妨害もしばらくすると止んで、部屋は一気に静まり返る。ブラックはその
静寂の中で、途切れそうな意識を彼女に向けて彼女の存在を必死に感じる。音が静まったと
いうことは、目的物が見つかったのだろうか。台所にある今の彼女の目的物とは?
「・・・・・・。」
静かに歩みよってきたピンクは、ソファで横になるブラックの丁度顔の横辺りに立つと、ブ
ラックを無言で見下ろす。その瞳は、アルトと戦っていたブラックと同じで、狂気に支配さ
れ、我を見失っているようだ。そして、彼女の手には台所から持ってきた窓から差し込んで
くる日の光を反射して輝く出刃包丁・・・。その姿は、神秘的というよりも猟奇的だ。
真っ赤な目、涙、そして興奮した息遣い。彼女も肉体的にも精神的にも限界のようだ。そ
の手に握られているものを、先端を下にしてグッと握ると、頭上にまでそれを振り上げて、
目を見開いてそれを振り下ろした。この時、ブラックは右腕で両目を覆い、左腕はだらりと
ソファからはみ出してぶら下げていた。視界は封じられ、ボールホルダーにも手は届かず、
この狂気を身体で受け止めるしかなかった・・・。
「・・・・・・ッ!!」
両目を覆っていた右腕が素早く動き、グローブの右手が振り下ろされた包丁を、ガッシリと
掴んで、自分の身体に刺さるのを寸前で止めた。その瞬発力、そして包丁を握る握力は、と
ても今すぐ入院しなければならないような人間の動きではなく、しっかりと修練を積んだ、
達人のような機敏な動き。そしてそのまま包丁の刃をグッと握ると、寝たままでピンクから
包丁を奪い取った。
「・・・オレのことをいつ、どこで、だれが、どうやって殺すかはお前の自由だ。」
ブラックはさらに強く包丁の刃を握る。革製のグローブをしていなければ、間違いなく手が
パックリと切れていることだろう。その様子を見ながらピンクは動揺と恐怖の瞳で、ブラッ
クの話を聞かされる。
「ただ・・・」
寝たままの状態で部屋の隅に包丁を投げ捨てると、再び元あった位置に右腕を戻す。そうし
て戻ってきた右腕の右手はグローブで保護されていたとはいえ、刃物を力強く握りこんだ為
グローブがパックリと切れて、手のひらにも薄っすらと血が浮き出している・・・
「・・・お前が一人ぼっちになるようなら、オレは死なないし、殺されない。」
その言葉にピンクはビクッと反応した。ブラックは彼女の行動から、おそらく自分を殺した
後、仲間を助けに行くか、自殺するだろうと思っていた。彼女の反応を見れば、どうやらそ
れは正しいようで、ブラックの言葉が心に響いた。
仮に仲間を助けに行くとしても、どこに彼らが居るのかがわからない。もし、その場所を
特定したとしても、今の協会、そしてあの男を敵に回したら、死よりも恐ろしいめに会うか
もしれない。そうなってしまったら、掴みかけている“何か”を放してしまう。非常に冷酷
で、自分勝手な感情だが、彼女をこうして保護したのも・・・
ロケット団
サカキ
キメリアン
キクコ
円卓の騎士
“これから”の“鍵”
・・・そして“謎の声”。
これら全ての謎に迫れる可能性があるからだ。多少の申し訳なさという情は感じていても
愛や友情を感じられる関係では無い。仮にも親友と故郷を傷つけた人間なのだから・・・。
「だから・・・安心して今日は寝てくれよ。」
そう言い残すと、ブラックはレッドの笑みを浮かべて意識を手放した。精神疲労も肉体疲労
もとっくに限界を超えている。いままでこうして意識を保ち続けていたことが奇跡なのだ。
それを見たピンクは床にヘタリと尻をつけると、大きな声で泣き始めた。またその泣き方
は非常に幼く、涙をボロボロ流しながらわんわん声を上げて泣く。気の強い彼女のイメージ
には合わない、本当に弱い者の泣き方だった。
(・・・“何か”につながり、“何か”を現すはず・・・・・・)
途切れた意識の世界で、ブラックは呟いた・・・・・・。
この寒い夜に窓を開けて夜空の星を眺めるというのも、少々、効きすぎた部屋の暖房から
逃れるには丁度良い。金髪の女性はそういう考えがあったのか、自宅の寝室の窓から上半身
を少しだけ乗り出すと、寂しそうな瞳で星空を眺める・・・。
すると瞳から雫が一滴、ポトリと落ちると
震えるほど冷たい北からの夜風が吹いて、落ちた雫は風に乗ってどこかへと消えていった。
晩秋は終わりを告げて、季節は冬へと移っていく。
冬の始まりとともに、全ての運命がここに揃った。
声たちの意思に導かれて、物語はいよいよ真実へ迫り始める。
しかし、運命の歯車は確実に動き続け、運命は青年に決断を迫るだろう。
感情が渦巻く冬のマサラで、今、悲しき過去とその運命の扉が開く・・・
第27話へ・・・